
「え〜、今日からD・Kプランニングで我々と共に働いてもらうことになった…えっと―――」
社長の新見は新入社員の名を度忘れしてしまったのか、横に立っている長身の彼へとチラリと視線を向ける。
「浅野一成です。よろしくお願いします」
二年振りに新入社員を迎えるというのに、その新人の名前を度忘れする社長に腹を立てたふうもなく、ごく端的に、だが明瞭な口調で自己紹介をすると、浅野一成と名乗った後輩は、まるでホストのようなその出で立ちとは不釣合いなほどに機敏な所作で社員に一礼する。
「あ〜と。浅野君の教育係はそうだな……、真崎君」
……と、仕事はやり手だがおっとりとした口調の新見は、真崎透流へと視線を向けた。
「うん、真崎君。キミ、彼の面倒見てやって」
「お、おれですか!? おれでいいんですか?」
「ああ、頼むよ」
飲食店のプランニングを事業内容としているこのD・Kプランニングに入社して以来ずっと下っ端だった自分が、いきなり新人の教育係に抜擢された。不安と期待と嬉しさとで、真崎の胸は高鳴った。
「は、はいっ!」
真崎が無意味なほどに力んで返事をすると、『じゃ、ヨロシク』という新見の一言で、社員の面々はそれぞれに通常業務へと取り掛かっていった。
「えっと……真崎さん、でよかったですよね? 今日からヨロシクお願いします」
真崎の眼の前にやってきた後輩は、真崎よりもずっと背が高い。軽く中腰になって真崎の視線まで下りてきた瞳が、笑みを浮かべる。
チビに生まれたのはもう仕方がないことだけれども……、人に見下ろされるというのはやはり気分のいいものではない。軽く見下ろされながら、“後輩”というには些か不遜な感のある浅野に尊敬される先輩になろうと、真崎は心に誓う。
「こ、こちらこそヨロシク!」 ―――おれも今日から“先輩”になったんだ。後輩の面倒はしっかり見なくちゃ!
胸を高鳴らせるほどに意気込む真崎とは裏腹に、二歳年下の後輩は、随分と余裕の笑みを見せていた。
† 「―――あ、真崎先輩」 現在プランニング中の洋食店で新たに購入する食器の見積もりを立てていたときだった。
浅野が入社して二ヶ月になる。浅野に“先輩”と呼ばれるたびに、今でも胸の裡からふつふつとガッツが湧いてくる。嬉しさと照れとで、頬を紅潮させるほどに、真崎はいまだに後輩ができたことに喜びを噛み締めていた。
……のだが。
「その見積もりだと、予算オーバーじゃないっすか?」
「え、うそっ!?」
隣のデスクからひょいと上半身をこちらに傾けてきた浅野は、パソコンに数字を打ち込んでいた真崎の眼の前に、カタログを差し出してくる。
「昨日のクライアントとの打ち合わせでは、食器の予算は六十五万円までってことに決まったじゃないっすか。でもそのブランドの食器で揃えると、もう五万もオーバーしてますよ」
「……あらら……ほんとだ」
「カンベンしてくださいよ、センパイ。そんな初歩的なミス、新人の俺だってやらないっすよ」
ニヤリと揶うように嗤われて、恥ずかしさに思わず赤面してしまう。
……そうなのだ。二年待って漸く後輩ができたことに有頂天になっている真崎だったが、実際のところ、飲食店のプランニングという特殊な業務内容にも関わらず、浅野は新人とは思えないほどの飲み込みのよさで仕事を覚えていき、今ではちょくちょく、こうして真崎のミスを指摘さえしてくる。
―――こんなはずじゃなかったのに……何故だ!?
後輩に尊敬される先輩になる! という真崎の大きな野望は、浅野のデキの良さを前に、すっかり影を潜めてしまっている。これでは、“先輩”の面目丸潰れだ……。
がっくりと肩を落とし、真崎はぽつりと呟く。
「……ごめん。おれ、実はデスクワーク苦手で……」
既に定時は過ぎていて、他の社員は帰ってしまっている。オフィスには、今回のプランニングをふたりで組んでやっている浅野と真崎だけが取り残されていた。真崎の仕事が遅いばっかりに、後輩にまで残業をさせる羽目になってしまって、真崎はすっかり“先輩”としての威厳を失っているであろう自分に落胆する。
「デスクワークは苦手でも、真崎さんには新メニュー開発っていう特技があるじゃないっすか」
何気にフォローされている自分がすこし虚しい……と思いつつも、褒められればやはり、それなりに嬉しい。
「そ、そっかな……?」
浅野の様子を窺うように上目遣いで訊ねると、年下の男は普段からやや垂れ気味な目尻を細くして微笑む。
「昨日の新メニューの試食会で真崎さんが出したデミグラスソース入りクリームコロッケ、マジで美味かったっすよ」
どこまでも単純にできている真崎は、そんな後輩からの褒め言葉ですっかり気分をよくした。
「ああ、あれなっ!苦労したんだよな〜」
「ナイフで切ったら、クリームコロッケの中からデミグラスソースがとろ〜と出てくるなんてアイデアも凄いけど、味も凄くよかった」
垂れ眼のくせに釣り上がった眉のせいか、一見、とっつきにくそうに見える浅野だが、こんなときは屈託のない笑みを見せてくれる。実をいえば、最初はちょっと、浅野の外見と口の悪さとで、おっかないヤツかも…などと思っていたけれど……。浅野は、決してデキの良い先輩とは云えないはずの真崎のことも、こうやってさり気なく立ててくれる。
「……浅野。おまえって、ほんとにいい奴だよなぁ」
「いい奴ついでに、甘い物でもどうっすか? ちょっと疲れたでしょ。少し休憩しませんか?」
「うん、それはいいけど……甘い物って?」
「調理室で、イイモノ作ってきますよ。少し待ってて」
暫くすると、調理室から浅野が戻ってくる。『はい』と手渡されたのは、大きなカップに入れられた、ホットココアだった。
ふわふわでとろりとした生クリームからは、ほんのりとブランデーの香りがする。
「……ふわぁ〜。なにこれ。すっごく美味しい!」
「残業したご褒美ってことで」
どこか面白がっている様子の浅野の笑顔は、彼の作ってくれたホットココアのように甘く、そして少しほろ苦い。真崎は束の間の至福のときを味わう。
まだまだ尊敬される“先輩”にはなれないけれど…、こうして浅野に甘やかされるのも悪くない。
……などと、ついついそんなことを思ってしまう不甲斐ない“先輩”の真崎は、何もかもがデキすぎの後輩をチラリと見遣る。
―――浅野……こいつって、やっぱりモテるんだろうな……。
「……浅野。おまえってさ、外見ちょっとおっかないけど、ホントは愛にあふれた男だろ」
「なんすか、それ?」
浅野の作ってくれたホットココアの入ったカップを大切そうに両手で包み込むように持ち、真崎は呟く。
「だって、おれの親父が云ってたんだ。“愛がなきゃ、人様に美味しいって云ってもらえるものなんかできねぇ”って……」
つまり、それだけ浅野の作ってくれたホットココアは愛にあふれた味わいで美味しい……と、云いたかったわけなのだが……。
「そりゃどうっすかね」
真崎の真意を知ってか知らずか、浅野は軽く微苦笑を浮かべただけだ。
―――浅野に愛される人は、きっと幸せだろうな……。だって、こんなにも美味しいホットココアを作ってくれる男なんて、そうそういないだろうから。
そんなことをふと思った瞬間、何故だか真崎は自分の頬がひどく火照っているのに気づいた。
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