好評をいただいたWEB連載よりアルルデビューの早瀬先生の最新刊が5月下旬発売を記念して、ファンの皆様にちょこっと先読みでドキドキをお届けします。
秀麗な面差しに麗しく透明な肌をもつ桜井悠里は、大手企業の御曹司。 平穏な日常が一転、父が何者かに命を狙われ、悠里も巻き込まれてしまう。 意識を取り戻した時には、資産は全て奪われ、名ばかりの社長にさせられてしまった。 父の無念を晴らし真実を掴む為、実権を握る専務の和田将吾の支配の下、暮らすことに。 「俺から離れることは許さない」と囁かれ、昼は社長、夜は愛人として将吾に命じられるがままの日々がはじまった――。
Stage1
2007.04.26 UP
Stage2
2007.05.10 UP
Stage3
2007.05.17 UP
●桜井悠里(さくらいゆうり)
28歳、受け。「美月」社長の息子で有能な社員だったが、陰謀に巻き込まれ、父の死の真相を知るためお飾り社長に就任。 将吾に秘めた想いを持つ。誰に対しても丁寧で優しいが、意志は強い。色素の淡 い髪と肌。細身で中背。秀麗な美貌。
●和田将吾(わだしょうご)
25歳、攻め。大手企業「美月」副社長の息子。会社の危機にアメリカから帰国、役員となる。少年時代から憧れていた悠里に裏切られたと思い、彼を支配し辛く当たるが…。クールに見えるが実は熱い。 長身、精悍な身体付き、浅黒い肌。
●西川(にしかわ)
50歳。「美月」の有力な役員。温厚な人柄で前社長、副社長の両方に信頼されていて、悠里を庇ってくれる。
●松崎(まつざき)
将吾の直属の部下。将吾に心酔し、悠里にはきつく当たるが、次第にその有能さや社員を思う気持ちに惹かれていく。熱血漢。
──将吾……! ──
悠里は、去っていく背中をただ見つめていた。
晩夏の夕暮れ、緑豊かな住宅街には蝉時雨が響いている。その中で、去っていく将吾の白いシャツがいつまでも見えた。
拒んだのは悠里の意志だった。そして、もう悠里より背が高くなった少年は、最後に深く傷ついた顔をこちらに向けて踵を返した。その背が見る見る小さくなっていく。
──将吾のためには、その方がいいのだ……──
何度もそう言い聞かせる。なのに目が離せないのは、彼がふり向くのを期待しているからだ。
「……」
自分の身勝手さに身体が震える。悠里は両手で腕を抱え込むようにして、懸命にそれを抑えた。それでも目は、彼の背に吸い寄せられていた。
湿った、やや強い風が吹き、頭上で欅が生い茂った葉をざわめかせる。嵐になるのかもしれなかった。
──将吾は、一度も振り返らなかった。
1
「──本当なんでしょうか。今回の『美月』新社長就任の件は……」
まだ若い役員の一人が、隣に聞いた。声はひそめていたが、ぶ然とした口調は隠せない。
まだ正月気分の残る一月始め、東京の空が雲一つなくからりと晴れたこの日、都内S区にある大手日用・化粧品メーカー「美月」本社の大会議室には、数十名に及ぶ社内の役員や大株主も招待されている。だが彼らの顔は、一様に不審げで落ち着きがなかった。聞かれた初老の役員も、困惑した様子で答える。
「声が高いよ、君。だが、大きな声では言えないが……私も、こうして当日になっても、未だに半信半疑なのだ。この後、記者会見だそうだが、マスコミも『場所が本社でなければ、100%デマだと思った』などと言っているほどだったよ。何しろ、あまりに急な話だったから」
その言葉に、彼は大きくうなずいた。苛立つ口調で続ける。
「ええ。何しろ、私たちにさえ、新社長が決定したと聞かされたのが二日前でしたからね。そもそも事件そのものが起こってから二ヶ月しか経っていないというのに……もう少し、現場で踏みとどまって頑張っている社員たちのことも考えて欲しいですよ! それもあの、桜井社長の息子だとは。私はてっきりこちらの西川専務か、いっそお若いが、和田専務がその任につくかと思っていたんです。しかもその和田専務が後ろ盾になるとは……!」
思いがこみ上げたのか、反対側に向き直ると、そこに座る温厚そうな役員に強くそう言いかける。だが彼は、ふいにそのままの姿勢で硬直してしまった。
ちょうど、彼の見た側にある正面のドアが、左右に開かれたのだ。そして、
「──お待たせいたしました。新社長、桜井悠里氏のご到着でございます!」
よく響く先触れの声の後、数名を従えて一人の青年が中に入ってきた。皆の視線が一斉に彼に集中する。
「……!」
一瞬、そこにいた者たちは全員、息を呑んだ。彼の若さと──その美しさとに。
彼──桜井悠里は、極めて秀麗な面差しをしていた。色白のきめ細かな肌にきちんと整えられたやや色の淡い髪。くっきりとした二重の瞳も同じ色である。そして高く通った鼻梁に、ごく形のよい小さな口元。眉もまるで描いたかのようだ。今年二十八になる筈だが、二十代始めくらいにしか見えない。
身長はすぐ後ろに控える、和田将吾よりもやや低かった。一七五センチ前後だろうか。けれど頭がごく小さいので、均整がとれ、すんなりとした印象の身体つきであった。
そして、その身体は仕立てのいい、やや淡いブルーグレーの細身のスーツできっちりと包まれている。純白のシャツに、少し紺の入った濃いめのグレーの無地のネクタイ、という組み合わせが色白の肌を際立たせ、同時に非常に清潔な印象を与えていた。
「これは……」
一同は一瞬、見とれてしまった。むろん役員たちのほとんどが、前社長の息子で社員であった悠里とは顔見知りだった。だが、父親である前社長の死後、この二ヶ月の間に彼の容貌は少し痩せ、以前よりもはるかに引き締まり、どこか張りつめたような緊張感を漂わせていたのだ。それが母親似の美貌を一層際立たせ、さらにこれまでにはない不思議な艶を表情ににじませていた。
われに返った皆は当惑しながらも立ち上がり、一斉に彼に向けて一礼した。社長が大きな権限を持つ美月では、そうするのが礼儀であったのだ。
「……!」
──その中で、悠里自身は内心、緊張が全身を走るのを押さえられなかった。スーツの下の身体は、ひそかに震えている。
明らかに役員たちは当惑し、自分に対して不満を抱いている。部屋中にそんな空気が満ち、肌にちりちりと感じられるほどだった。見るからに頼りなげな外見の、しかもなんの実績もない自分が社長の座につこうとしているのだから当然だろう。そして、自分のすぐ傍に控える将吾の、直属の部下達からは、もっとはっきりとした、突き刺さるような非難の視線が浴びせられているのだ。
そっと、目だけを泳がせて斜め後ろを伺う。こんな事態を招いた張本人の姿を見た。
そこには、将吾が付き従っていた。黒い短めの髪と、切れ長な同じ色の瞳、少し顎の張った輪郭、そして引き締まったやや厚めの唇という顔立ちは、悠里より年上に見えるが実は三歳年下である。悠里よりも顔半分ほど背が高く、一八五センチを越える長身。肩幅は広く胸板も厚く、浅黒い肌がいかにも精悍だった。着ているチャコールグレーのスーツが、それを更に引き立てている。しかし物腰はごく丁寧で、自らは軽く一歩下がりながら、さり気なく悠里をフォローするように手をさしのべている。
そのいかにも謙虚な仕草に、悠里はひそかに憤りを感じ、前に向き直ると、しゃんと背筋を伸ばして席についた。会議室の一番奥の、ドアの真正面に向かい合う社長の座るべき場所である。
そして、皆に座るよう合図すると、自身は立ったまま、端正な仕草で一礼した。
「初めてお目にかかる方もいらっしゃるかと存じます、桜井悠里と申します」
少し緊張しながらもそう口を切る。声が震えていないのでほっとした。
「このたび一月一日をもちまして、美月の新社長に就任させていただきました。若輩者ではございますが、役員の皆さま、よろしくご指導の程をお願いいたします」
そしてもう一度頭を下げる。
「……新社長にお伺いいたします!」
とたん、役員の一人がこの状況に耐えかねたように叫んだ。悠里がここに来る直前まで、新社長への不満を口にしていた男だった。むろん悠里はそのことは知らなかった。
「はい、何でしょうか。遠山専務」
どきりとしたが、すぐ丁寧にそう答える。逃げてはいけない、と心に言い聞かせる。その言葉に、相手は目を見張った。悠里が自分の名を覚えていることに驚いたのだろう。だが、すぐに気を取り直して続けた。
「その……。社員たちの間で噂があるのですが……新社長は、現在、父上がお持ちだった持ち株を全て手放され、我が社とは損益に全く関係はなく、一円の株も持っておりませんね? それにも関わらず和田専務にあなたご自身が強くお願いし、社長に就任されたということですが、本当でしょうか?」
「……」
悠里は一瞬、無言で相手を見つめた。見えないようにそっと机上の手を握りしめ、うなずく。
「──はい、おっしゃるとおりです。私自身のことはただ今申し上げるつもりでした。私は和田専務に今回の社長就任をお願いいたしました」
その言葉に会議室内が、どっとどよめいた。悠里は自ら、自分が将吾の力を借りて就任した、ただのお飾り社長だと宣言したに等しかったのだ。
その答えに相手はたじろぎ、今度はその傍らに控える将吾に向き直った。
「和田専務、それでよろしいのですか!? 事件が起きてから、まだ二ヶ月しか経っていないんですよ!? その間『美月』がもちこたえられたのは、ほとんどあなたの父上とあなた、それに西川専務のご実績でしょう! それは全ての社員が皆知っております。なかでもあなたの父上は、その為に命を落とされたほどでした! それを横取りされるなんて! しかも桜井前社長の、それもこんな若……」
「遠山専務」
その時、よく響く低い声が、すっかり興奮した男の言葉をさえぎった。悠里の傍らに控える将吾だった。役員の中では若手だが、それでも自分より十歳以上年上の男を完全に視線だけで押さえ、穏やかな口調で言った。
「美月の規約では、第一条に最も多い株を所有する当人か、あるいはその者が任命した者が社長に就任する──とあるはずです。失礼ですが現在、私にはその資格がありましたので、それに従ったまでです」
「し、しかし……!」
「それに」
将吾は悠里に視線を向ける。あくまで謙虚な、優し気な瞳で。
「二週間ほど前にお会いした際、父上の残した汚名をそそぎたい、と私に伝えた桜井社長のご意志は素晴らしいものに感じました。ですから私はそれを大切にしたいのです。私の父も、前社長とともに仕事をさせていただいておりましたし」
「……」
悠里はそんな彼の視線をまともに受け、自然と頬が染まるのを感じた。役員たちはまたどよめいたが、この会社で現在、最大の実力者である将吾の言葉には、誰も逆らえないようだ。会議室の空気が、割り切れないものはあるにしろ、容認する方向に流れていくのがわかる。
悠里は微かに震えた。わかってはいるつもりだったが、実際に目の当たりにして、将吾の今の力を思い知らされる。まだ二十五歳に過ぎない彼が、たった二ヶ月足らずの間にここまでになるとは、一体どれほどの働きと努力が必要だったのだろう。
「……!」
その時、将吾の唇にかすかに嘲るような笑みが浮かんでいるのに気づき、悠里ははっとした。再会した時の記憶が脳裏をよぎり、頬にまた血が上った。さぞかし彼は今、いい気持ちだろう。
──だめだ。もう後戻りは出来ない……!──
「……和田専務の、おっしゃるとおりです」
悠里はあえて将吾を見返し、それから丁寧な、明瞭な声でこう言った。
「専務、私の我が儘な申し出をお聞き届け下さり、本当にありがとうございます。……ご存じの通り、私の父が美月を傾かせ、皆さまをはじめ、全ての社員に迷惑をかけてしまったことにつきましては、まず皆さまに最初にお詫びするべきでした。申し訳ございません」
そうして一度、深々と皆に頭を下げる。そして毅然と続けた。せめてみっともない真似はしたくなかった。
「ですが、和田専務をはじめ、役員の皆さまのお力を借りて、私はなんとしても今後、美月を繁栄に導き、発展させたいと考えております所存です。それには役員の皆さまのお力が不可欠かと存じます。重ねて申し上げますが、どうかよろしくご指導の程をお願いいたします」
そう言い切り、再び頭を下げた。
一同はシン、と静まりかえる。悠里は頭を下げたまま、緊張がこみ上げてくるのを感じた。だがその時、傍らで拍手が響いた。
「……!」
思わず顔を上げかけると、将吾だとわかった。あくまでも穏やかな瞳でこちらを凝視し、取りなすような仕草で、手を打ちならしている。それを見て、当惑していた周囲の社員たちも、すぐそれに従った。ひとまずの容認の空気があたりに広がる。
悠里はホッとし、思わず微笑むと、もう一度丁寧に頭を下げた。それを見て、役員たちの拍手がやや大きくなった。──その時、
「──社長、一階のホールに報道関係の方たちが集まっておりますので、そろそろそちらの会場に……」
将吾が言った。悠里は少し驚いて彼をふり返った。
「……わかった」
何故か、将吾は悠里を凝視したままだったのだ。悠里はその瞳にかすかに怒りの光を見て取ってどきりとし、それから、かすかに胸が痛むのを感じた。
──もう、後戻りは出来ない……──
一礼して再び席を立った彼に、また会場中の視線が一斉に注がれた。それらを痛いほどに感じながら、悠里はもう一度、自分に言い聞かせていた。──そして、将吾も静かに立ち上がると、また悠里を先に促し、自分はその後に従った。まるで、彼らの視線をさえぎるかのように。
「社長には、これからご自宅で寝泊まりしていただくから、そのつもりでいろ」
「……はい」
──その夜。
本社と主な取引先への挨拶をすませた後も、さまざまな顔合わせがあり、最後に入院している母親を見舞って、悠里が部下たちに見送られて家に帰り着くことが出来たのは、真夜中をとうに過ぎた頃であった。将吾はその玄関先で、部下達に明日の指示をてきぱきと下していた。
悠里の新社長就任は、当然マスコミの話題にもなったため、彼らに待ち伏せされた時のためにと、部下たちがここまで、将吾の手配で自宅の玄関先まで送ってきたのだ。幸い、深夜のせいかそれほどマスコミの数は多くなかった。むしろ明日の朝、出勤前を狙う心づもりなのだろう。
「和田専務も、こちらにお泊まりのご予定でしたね」
「そうだ。しばらくの間、そうさせていただく。松崎、明日はお前が朝六時に迎えに来るように」
「かしこまりました。お疲れさまでした、専務」
将吾の部下達は、彼にだけ話している。特に彼らのリーダー格である松崎は、完全に悠里を無視している様子がうかがえた。
一日中、皆の態度はこうだった。いや、二週間前、将吾の命令で彼らが悠里の秘書を兼用するようになってから、ずっとそのまま変わらない。
無理もない、と悠里は心の中でため息をついた。
彼らは皆、二ヶ月前の事件直後、将吾によって「美月」の子会社などから引き抜かれて彼の直属になり、さらに彼がその父親の傍らで苦労をともにしている姿をつぶさに見てきた者たちなのだ。肝心な時に全てを副社長に押しつけ、逃げ出し、後になってのこのこと現れた(と見える)社長の息子に、良い感情など持てないに決まっている。
「……」
胸に微かな痛みを感じ、悠里はそっと目を閉じた。この家に帰ってきたのは、二ヶ月以上前、当時社長だった父の命を受けて日本を発って以来だ。庭の空気の香りがひどく懐かしかった。まさかこの家を出た時は、こんなことになろうとは思ってもいなかったが……。
その時、軽い目眩を感じた。身体がひどく重たく、疲れ切っているのに今になって気づく。この二週間は、一度も気の休まる暇がなかった。それが家に帰ってきたので少し気が緩んだらしい。
二ヶ月前の事件の副作用の為か、左手が痺れて震えてくるのを、悠里は急いでさすり、なんとか落ち着かせた。このことは、将吾にも、社員たちにも知られたくなかった。
ふと、玄関脇の桜が、裸の梢を夜になって強まった風に揺らしているのに気づく。以前、秋に家を出た時、この木の葉は鮮やかに色づいて、庭先に何枚も散り始めていたのだ。悠里は一瞬、その木を切ない想いで見つめた。見上げる目の奥が少し痛い。
「お休みなさいませ」
「……ありがとう。君たちも遅くまでお疲れさまでした」
悠里は笑みを浮かべてそう言ったが、部下たちは無言で一礼しただけだった。
「社長、もうお休みになりませんと」
その時、背後で将吾が気遣わしげに言い、そっと肩に手を置いた。彼の手の感触に、悠里は微かに身を震わせる。
「……ああ、ありがとう」
それでも、まだ頭を下げている皆に軽く手をあげ、将吾に丁寧に促されるまま家の中に入った。
「……!」
──そして、玄関のドアが閉ざされ、鍵が下ろされたとたん、悠里は息を呑んだ。
ぐいっ、と、いきなり将吾が肩に置いたままの手に力を込め、悠里の身体を乱暴に引き寄せたのだ。もう片方の手できっちりと締めていたネクタイを掴み、あっという間に引き抜いてしまう。二人ともまだ靴を履いたままである。
「なにっ、しょ……!」
「黙れ」
悠里の上げかけた声を、将吾はぴしゃりとさえぎり、顎をしゃくってドアを示した。
まだすぐ外に、部下たちの気配がする。悠里の家の玄関はゆったりと広かったが、それでもここの物音は、彼らに聞こえてしまうだろう。
「……!」
悠里は震えながら、叫びを呑み込んだ。将吾の顔が間近に見えた。たった今まで穏やかそうな光をたたえていたその瞳は、今は底冷えのするような嘲りを浮かべ、こちらを見据えている。
「大した役者だな。──あそこまで、役員たちをたぶらかすとは思わなかった」
言いながら、シャツに手をかけ、左右に裂いてスーツの上衣もろとも一度に脱がせる。とたん、白くしなやかな身体がむき出しにされた。その肌には、昨夜将吾に責め立てられた痕跡が、まだ幾つも残っていた。嘲るような視線で凝視され、悠里は真っ赤になった。なんと淫らで見苦しい姿だろうと自分でも思う。
「や、やめてくれ、ここでは。それに明日は……あぁっ……!」
声をひそめ、それでも懸命に哀願する。二週間前に再会してからほぼ毎晩、彼との行為を受け入れさせられていたが、この家の、こんな場所で抱かれることにはさすがに抵抗があった。しかも「美月」の事件の被害者への謝罪、という重要なことが明日の予定に組まれているというのに。
とたん、剥き出しにされた胸の突起を、両方とも爪を立てて押しつぶすようにきつく摘まれ、悠里は思わず身を反らせた。唇から悲鳴が漏れそうになる。それを乱暴に手でふさがれた。
「やめてくれ、だと? お前にそんなことを言う権利が、あるとでも思っているのか」
哀願する眼差しを見おろし、将吾は冷酷な笑みを浮かべた。
「ここは今は俺の家だ。そしてお前は、俺の命令にはとんなことでも従う。そう決めたはずだ。お袋を守りたいんだろう?」
「……!」
悠里の身体が怒りに震える。と、いきなり将吾に手を放されて突き飛ばされ、悠里は上半身をむき出しにされた惨めな姿で、将吾の足元にうずくまる格好になった。その上に、将吾の言葉が投げつけられる。
「残りを全部ここで脱げ。靴までだ」
「……」
悠里は震えながら、彼を見上げた。彼の唇には冷ややかな笑みが浮かんでいる。そして、黒い瞳は冷たい光をたたえ、こちらを見おろしていた。この二週間、ずっと悠里を捕らえ、監視し続けてきた瞳だ。
逆らうことは出来なかった。今、悠里と母の生命は、彼の手に全て握られているのだから。
自分一人はどうにでもなるが、まだ寝たきりの母の命を危険にさらすことは出来ない。悠里は無言で身を起こし、うつむいて震える手で、ズボンの金具に手をかけた。
──まさかこの家で、こんなことになるなんて……──
今は形だけのものになってしまったが、ここは生まれた時から、悠里が両親とともに過ごした家だった。そして三歳年下の将吾は、小さな頃から数え切れないほど、何度もここに遊びに来ていたのだ。まさにこの玄関をくぐって。
──悠里さん……──
痩せて小柄で、いつもはにかみながら、おずおずとこちらを見上げていた将吾。悠里が笑顔で手を差し出すと、その手を握り、ホッとしたように笑みを浮かべる。それがとても可愛かった。
けれど一ヶ月前、八年ぶりで再会した彼は、見違えるように精悍でエネルギーをみなぎらせた青年になっていた。そして、凍りつくような冷たい瞳で、こちらを見ていた……。
WEB小説トップへ戻る
ご意見・ご感想はこちら
information@onetwomagazine.jp
Copyright (C) 2004- arlesnovels. All Rights Reserved.