――暑い……。
神城友那は、シャツの襟元に指を入れてネクタイを緩めた。
ネオン輝く夜となったのに、アスファルトの道路はうだるような暑さをためこんでいる。
暑いのは、風がそよとも吹かないビルの谷間にいるからというだけではなく、自分の服装のせいだということぐらい、友那は自分でわかっていた。
――こんな格好をしたいと、俺がねだったから。
切れ長の瞳に、月の表のような細面。すれ違う人を振り向かせるほどの水際立った美貌。そんな友那の顔立ちと、極道のスーツは不思議なコントラストを見せる。
友那が身につけているのは、紫のダブルのスーツだった。龍の模様が浮かび上がる紫のネクタイを合わせている。
ほっそりとした手首には、貸してもらった金無垢のロレックスまで輝いていた。
――ここで待てって言われたけど。いつまで、ここにいればいいんだろう。
凛とした色香を漂わせる細身を路地の入口にさらしながら、友那はつれづれに出陣前のことを思い出す。
大学が夏休みに入った七月中旬。あの修羅の日々の末に、大学に復学して地方都市で一人暮らしをしていた友那は、恋人である宮脇本俊と一緒に過ごすために本俊が組長をしている西井組の本陣に押しかけることにした。
朝から晩まで一緒にいられるとうきうきしていたのに、本俊のほうはそんなに暇ではないらしい
。
会った日こそ濃厚に抱かれ、腰が立たないほど責め立てられたが、翌朝目が覚めると、本俊はもう仕事に消えていたし、その日も夜遅くになるまで戻ってこなかった。
――もしかして俺、邪魔者?
そう寂しく思うほど、本陣内では所在なかった。
それでも気分を引き立たせ、本俊にかまわれないのをいいことに、友那は心密かに考えていた計画を実行に移すことにした。
舎弟に貸してもらった極道スーツに身を包んで現れた友那に、組事務所にいた全員がどよめいた。
「えらく、……似合いますね、友那様」
「極道というには品がありますが。かといって、カタギにも見えず、役者というわけでもなく」
「だったら、何に見えるんだよ?」
友那は聞き返しながら、全身の映る鏡で自分の姿をためつすがめつ眺めた。
西井組本陣内にいる組員たちと、最近になって少しずつ馴染めるようになってきた。とはいっても、心から親しめるものではない。
極道は、基本的に自分一人しか信用できない。一匹狼ならなおのこと、組に属していても、内部ではいつでも権力を巡って派閥が形成されている世界だ。力と力が衝突しあい、巨額の金が動き、少しでも隙を見せればだまされ、命までもが奪われる。
そんな世界で暴力団という組織を維持するためには、がんじがらめの掟が必要だった。それがなければ、飼い慣らせるような男たちではない。
西井組本陣に出入りする男たちは、本俊の子飼いの幹部だ。街に出れば子分を抱え、企業舎弟を何人も従えている。彼らがボスである本俊の愛人である友那に失礼な口を叩くことは一切なかったが、彼らの丁寧な態度が心からのものだとうぬぼれることなどできない。
――だってみんな、目が笑ってないもんな。
それでも、本俊を前にしたときだけ彼らは、心の底から敬服しているように見える。それだけ本俊の統率力が、優れているのだろう。友那はそんな本俊の虎の威を借る狐に過ぎない。
友那はお世辞を聞き流して自分の姿をしげしげと鏡で眺め、思っていたよりも極道スーツが似合うのを自分の目で確かめてから、ようやく満足した。
このように、いかにも極道の格好をしたのは、今回が初めてだ。友那は神城組という極道の家に生まれ、父を組長に持ってはいたが、極道が怖くて馴染めずに泣いていた。いわば落ちこぼれの次男で、組を継ぐのはしっかりとした長男に任されていたからだ。
しかし、神城組の組長であった父親と跡継ぎだった兄、そして母を事故で一度に亡くなってから、事情は一変した。
どうしても泣き寝入りはできず、行き場のない憤りを抱えながら、友那は家族を殺した相手への復讐を望んだ。そのために、昔、神城組にいた宮脇本俊に助けを求めたのだ。
今は神城組はない。
家族を殺した犯人が判明し、すべてが終わった後、神城組は本俊が組長を務める関東屈指の暴力団、西井組に吸収されることが正式に決まった。友那は自分の身体を奪っただけではなく、心までをも奪った本俊を信頼してすべてを託すことにしたのだ。
――俺は組のことは門外漢だし。
友那は臆病な人間だった。
極道の家に生まれ育ったからといって、自動的に根性が据わるものではない。
任侠の世界は時代遅れだと思っていたし、暴力沙汰は怖くてたまらなかった。
ヤクザとしての生き方というものがどれだけ厳しいか、身に染みてわかっている。世間に突っ張り、自分に突っ張り、意地や見栄のために不自由な生き方を強いられることに、自分が我慢できるとは思えなかった。平凡でいいから、心穏やかな暮らしが自分には合っていると考えていたのだ。
今でも、その考えが大きく変わったわけではない。
それでも、変わらなければいけないと今は考えている。ともに生きていく相手として、西井組の組長である本俊を選んだのだから。 本俊との激しい恋は、友那のすべてを変えた。
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別れて暮らしていても、本俊への思いは日に日に強くなっていくばかりだ。
むしろ、離れているから、思いがつのるのかもしれない。
生き方も含めて、本俊のすべてを理解したくなる。そのためには、極道としての生き方にいつまでもそっぽを向いてはいられない。
――だから、少しでも知ろうと思って。
昔、西井組の本陣に監禁同様に閉じこめられていたときには、友那は西井組の舎弟とは少しも馴染めなかった。人見知りというせいもあるのだろう。それでも、気負いつつも友那のほうから話しかけてみると、ひどく彼らは丁寧で礼儀正しかった。
それが彼らの本性とは思わない。
それでも、友那はホッとできた。
この家に来て三日目の昼過ぎ、友那は舎弟の一人におずおずと申し出て、極道の服を貸してもらった。それだけなら面白がられるだけですんだが、街を見回りに行く組員に同行させてもらいたい、と言ったとき、彼らは顔を見合わせて笑った。
「なんでそんなことがしたいんですか?」
舎弟の一人に尋ねられる。
「危ないところにも行きますよ。歌舞伎町は外国人が大手を振るっていて、極道でも一人で歩いていたらぼこぼこにされることもあります。こんな格好をしていても、安全ということはありません。ましてや、友那様のような方ならなおさら」
お嬢さんのおふざけのようなものだと、思われているのかもしれない。
友那の容姿や、本俊の愛人という立場によって、自分が彼らの間で『お嬢さん』という符丁で呼ばれていることを薄々勘づいている。
肝の据わった彼らに比べて、自分のみかけがどれだけ弱々しく見えるかを知っている。そして外見通り、胆力も腕力もないのだ。
友那はうつむき、それでも簡単に引き下がれずに食い下がる。
「その……。みんながどんなことをしてるか、知りたくて」
膝の上で、ぐっとこぶしを握りしめた。
「本俊には内緒にして、連れてってもらえないかな」
極道というのは、厳しい世界だ。しっかりとした覚悟もなく、顔を突っ込んでいいものではない。本俊に知られたら、お遊びで極道の格好をするなと、怒られるに決まっている。
――だけど、お遊びなんかじゃない!
大人にとっては子供のささやかな冒険が遊びに見えるかもしれないが、その張本人は本気なのだ。
本俊には社会科見学だと笑われそうなこんな形からでも、少しずつ近づいてみたい。
彼らは顔を見合わせ、返事を保留にされた。
夕方になると、見回りに同行することを許された。
そしてひたすら待たされ、夜遅い時刻になってようやく、友那は組員の車に乗せられて、街まで出たのだった。
路地の入口に立っている友那に、酔客がチラチラと視線を向けてくる。
やっぱり、自分の姿には違和感があるのだろう。
それでも、スーツのポケットに両手をつっこみ精一杯突っ張ってそちらのほうに顔を向けた。
すると、すぐに目をそらされた。一応は、カタギではないように見えるのだろうか。
――しかし、服のためってのも、虎の威を借る狐、っていうか。
まずは形からと思っていたが、中身がともなっていないと落ち着かないことこの上ない。
――まだ戻ってこないのかな、大川。ここで待っていて欲しい、と言われたけど。
渋谷の繁華街を通り抜けた路地の入口に立って、もう二十分以上になる。
友那を連れ出してくれた大川という舎弟は、立ち並ぶ雑居ビルの一つに消えたきりだ。
『ここで見張っていてください』と言われたが、こんなところでボーッと立っていたところで、友那にまともな見張りができるわけがない。警察が来たところで何をしていいかわからないし、敵対する組のヤクザが来たら、それこそ殴られるだけだ。
――単に厄介払いされただけ? 俺は。
極道の格好をして、外に出て終わり、というつもりではなかった。西井組の人間が普段、どんなことをしているのか、この目で確認しておくことこそが本当の目的だったのだ。
――本俊は、非合法なことはしてないって言ってたけど。
しかし、どこまで本当だか、気になっていた。組員たちの話を漏れ聞くところによれば、右手に六法、左手に拳銃というのが西井組の経済ヤクザの基本らしい。高等技術を要する金融業、ということだが、その実像がどんなものか、知りたかった。
――なのに、こんなところに置き去りにして!
同行するのを許してもらえたのは、最初からこんなふうにつまはじきにするつもりだったからだろうか。
――大川が出てきたら、次こそは一緒に店の中まで連れて行ってもらうから!
そう決心を新たにして、友那はうだるような暑さの中で、ひたすら待った。
路地は薄暗く、古ぼけたネオンがところどころを照らしているだけだ。
平日だから、終電も終わる時刻を過ぎると酔客の人数はめっきり減り、少し離れたところから喧嘩の声が聞こえてきた。こんな暑い日には、頭に血が上りやすいのだろう。すぐ近くにあるクーラーの室外機が、今にも壊れそうな音を立てて、熱風を吹きだしている。
――早く大川、戻ってきてくれないかな。
友那は時計のベルトがゆるいロレックスで、何度も時刻を確かめた。
生暖かい汗が背筋を伝う。
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暑に耐えかねて、友那はダブルのスーツのボタンを外す。極道は服装を乱してはならないと聞くが、スーツの上着を脱いでしまいたくて仕方がない。
――でも、これくらい我慢できないと。
修業にならない。
それでも、この服装は暑すぎた。あらためて確かめたことはないが、夏場は夏用の極道スーツがあるはずだ。友那が着ているのは布地が分厚く、冬用としか思えない。最初は室内で着るつもりで出された服だから、季節感は度外視されたのかもしれない。
――暑い。
全身汗だくになってくる。
目に汗が入りそうになって顔をしかめたとき、不意に後ろから手が伸びてきて口をふさがれ、羽交い締めにされた。
――え? 誰? 何で?
驚きに声も出ない状態で、路地の奥に連れこまれた。
街灯の光すらも届かないビルの谷間だ。
暗闇に目が慣れず、すぐには何も見えない。恐怖が友那の鼓動を激しく乱す。心臓がのど元に移動したように、呼吸がまともにできなくなっていた。背後の男の力は強く、身じろいでも万力のようにビクともしない。
「見ねえ顔だな。誰の許可を取って、この街にいるよ?」
低めた声が、耳に直接吹きこまれた。
――誰? 本俊?
愛しい男の声に似ているように思えた。しかし、低すぎるささやきだから、ハッキリと聞き分けることができない。
何かを言おうにも、口がふさがれていた。
男の手はスーツの上着を掻き分け、後ろからボディチェックをするように友那の身体をなぞっていく。
濡れたシャツが身体に貼りつき、男の指の動きを生々しく感じさせた。友那と密着した男の身体は、長身で筋肉質だ。
肌を探られるたびに、友那はに身じろいでしまう。官能的なざわめきが呼び起こされそうで怖かった。
「汗まみれだ。ここが透けてやがる」
男の声に集中する間もなく、服の上からいきなり乳首をつままれ、友那は驚きのあまりにのどの奥でうめきを殺した。
「っぐ、……離せ……」
身体をよじって、敏感な場所に与えられた刺激から逃れようとしたが、友那の抵抗ぐらい男は易々と封じられるらしい。暴れれば暴れるほど乳首にくわえられる刺激は大きくなり、強くつままれた。
友那は唇をふさいだ指の隙間から息を漏らし、噛みつこうとした。
そのとき、乳首をつまみ上げた指から力が抜かれ、代わりに指の先でくりくりと円を描くように刺激される。
「……ぁ……」
ゾクッとたまらない刺激が走った。
同時に、股間をスラックスの上からなぞられる。嫌悪感でいっぱいだというのに、感じるところに手が触れると、どうしても強い刺激を受け止めざるをえない。
そもそもどうして、自分がこんな目に遭っているのか、友那には全く理解できなかった。
――からかわれてるのか? この男は、本俊?
そうであって欲しい。見知らぬ男になぶられて、抵抗できないままなんて悔しすぎる。
小刻みに震える友那の身体を、男はさらに手を伸ばす。
性器をスラックス越しに探られ、乳首をきゅうっとシャツの上からつまみ出されると、異様な快感が全身に満ちてきた。
「……めろ、……っなんのつもりだ……っ!」
硬くしこった乳首をつままれるたびに、全身がビクンとのけぞるような快感が走った。
パニックが消えないせいか、やたらと身体が過敏になっているようだ。
「こんなので感じるなんて、よっぽどてめえは男が欲しくてたまらないらしいな」
自分の乱れた吐息に邪魔されて、男の声がしっかり聞き取れない。本俊とはやっぱり違うような気もした。かすれ音が強くて、心持ち下卑た響きがある。本俊以外の男だったらどうしようという不安で鼓動が乱れ、恐怖で身体が震える。よけいに、何がなんだかわからない。
「こんなこと、……俺にしたって……知られたら、……ッ殺されるから!」
この男が本俊ではなかったとしたら、友那も仕置きされるだろうが、この男もただですむとは思えない。何せ、西井組の組長なのだ。
「殺される? 誰にだよ」
男は不敵にささやき、のどの奥で低く笑った。
その言葉が男を刺激したのか、友那のネクタイが引き抜かれ、シャツのボタンが引きちぎられる勢いで外される。露出した白い肌に小さく尖るピンク色の突起に、男は直接指を伸ばしてきた。
「や……めろ……っ!」
逃れようと身をよじった途端、男は痛いほどにしこった乳首を指先でねじり上げた。
鋭い電流が駆け抜け、友那は羽交い締めにされた身体をよじらせた。
「っぐ、っく!」
普段なら痛く感じるほどの刺激だろう。しかし、興奮した友那の身体は、それを快感へと変化させる。
性器の先端の位置を探し出されて指でなぞられるたびに、下着の間にじんわりと蜜がわき出していくのがわかった。乳首をなぶられるたびに、悲鳴のようなうわずった声が漏れる。
――もし、本俊じゃなかったら……っ。
それが怖かった。
他の男に身体を奪われた友那のことを、本俊は許してくれるのだろうか。そう思うと、震えが止まらなくなる。
「やだ……っ! 離せ…っ!」
渾身の力で暴れようとしたのに、耳朶をくわえられて吐息を吹きこまれた。ちゅくちゅくと耳の穴を舌先で舐められると、悪寒に全身の力が抜ける。ぞくぞくと鳥肌が走った。
「っん……っく……っや……っ」
――ダメ……だ……!
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この続きは『絶対者に奪われて』
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